ミニ骨壷にお骨を入れて手元に置くことをお坊さんに聞きました -手元供養のことなら京都博國屋
ミニ骨壷などに、ご遺骨を入れて、自宅に安置することを手元供養といいますが、仏教とは関係なく、キリスト教でもありません。宗教とは関係ないのです。
ただ人が亡くなるとお墓に入るという考えを多くの方はお持ちなので、手元供養も宗教儀式と捉えてしまうのは致し方ないと思います。というわけで、だいぶ前の話になりますが、あるお寺のご住職に手元供養について尋ねた話をご紹介します。
お坊さんの手元供養の考え方
当時30代の浄土真宗西本願寺派のご住職に手元供養やミニ骨壷についてお尋ねしました。まだ今ほど手元供養という言葉が浸透している時代ではありませんでしたので、ご住職も手元供養という言葉をご存知ありませんでした。
手元供養という言葉を知らなくても、ご遺骨を手元に置きたい方や、ミニ骨壷に入れて大事にとっておきたいという相談が1年で数回あったそうです。
ご住職の考えでは、
「人が死ぬと”霊(遺骨に故人はいない)”になるので、遺骨を手元に置いて供養すること自体は浄土真宗の教えの中ではあまり意味がないことだと思います。」
「しかし、故人であったそのご遺骨を手元に置くことにより、残された人の心の支えであったり、癒し偲ぶ心というのは紛れもない事実であります。また分骨してご家族でご遺骨を持っておき、遠く離れた地でも故人を供養したいという相談もお受けしました。私自身の考えは、その方が心の癒しをお経やお墓を建てることを得られるか、それ以外(ミニ骨壷)のものを必要とされるかはその方次第であり、それを否定するものでありません。」
「お坊さんの中には、何の根拠もないことを思いこみで押し付ける方もいらっしゃいますが、最後はその方が、大切な故人の死をどうのように乗り越えていくかではないでしょうか?」と仰れました。
手元供養の考え方そのもの
ミニ骨壷に納骨して、自宅で安置することは、仏教とも相反することなく、大切な故人を失った悲しみは何事にも代えがたく、その心を癒す、故人を偲ぶ気持ちというのは、決められたことをするから癒されるものではありません。一人一人の癒し方があり、それがお経であったり、立派なお墓を建ててあげることかもしれません。手元供養の事を知らなくとも、手元で供養したいその気持ちがあれば良いということです。
ご遺骨や、お墓に関しては、自分が想うようにすることが1番故人のためになるのではないでしょうか?
手元供養の根幹とし、大切なことは、最愛の方と亡くなったあとも、どのような関係を築き持ちたいのか、考えることが大切なんじゃないかと思います。