2025年秋に放送が始まったドラマ『終幕のロンド』。
遺品整理を題材にしたこの作品は、「モノを片づけること」が実は「心を整理すること」と深くつながっている――そんなことをあらためて考えさせられるドラマです。
遺品整理は、単なる後片づけではありません。
ひとつひとつの遺品には、その人が生きた時間、声、温度が宿っています。
だからこそ、すべてを手放すことができずに立ち止まってしまう人も少なくありません。
片づけても、どうしても手放せないものがある

私たち博國屋にも、「少しでも傍に感じていたい」「全部を納めてしまうのは寂しい」というお声を多くいただきます。
お墓があっても、そこにすべてを埋葬することをためらう。
散骨をするけれど、ほんの一部だけは手元に残しておきたい。
そんな“離れがたさ”の想いから、手元供養を選ばれる方が増えています。
遺品整理の現場では、故人の衣服や日記、写真などを「どうしても捨てられない」と話される方がいます。
それと同じように、手元供養も“残すことで前へ進む”ための一歩なのかもしれません。
モノを減らす時代に、“想いを残す”という選択
今は「生前整理」や「断捨離」といった言葉が当たり前のように使われ、
「持たないこと」が美徳とされる時代です。
けれど、本当に大切なのは「何を残すか」を自分で選ぶこと。
モノを減らすことが悪いわけではなく、
“想いを残す”という選択もまた、心を整えるひとつの形だと思います。
手元供養は、遺された人が悲しみを抱えながらも、
「これだけは手放せない」と感じた想いを形にするもの。
それは“モノ”というより、“祈りの居場所”なのです。

暮らしの中に祈りを
手元供養品は、仏壇のように特別な場所でなくても構いません。
リビングの棚の上や、窓辺、寝室の一角など――
自分が心静かに手を合わせられる場所があれば、それで十分です。
故人を想う時間が、日常の中にそっと息づいている。
それが、現代の供養のかたちだと私たちは考えています。
結びに
遺品整理も、手元供養も、“終わり”のための行為ではありません。
むしろ、そこからもう一度、故人とつながりなおすための時間です。
手放すこと、残すこと――どちらも「心を整えるための行為」。
その中で見つけた“祈りのかたち”が、手元供養なのかもしれません。
私たち京都博國屋は、これからも
人と人とが、想いでつながり続けるための供養のかたちを静かに、丁寧にお届けしていきます。






















