ブログ

  • お骨は家に置いていてもいい?――手元供養という祈りのかたち

    お骨は家に置いていてもいい?――手元供養という祈りのかたち

    「ご遺骨って、家に置いたままでいいのかな…」
    「やっぱり早くお墓に入れてあげないといけないのでは…?」

    ご遺骨の納め先が決まっていないとき、多くの方がこんな不安を抱かれます。けれど、結論から言えば——ご遺骨をお家に置いておくことには、なんの問題もありません

    私たち京都博國屋では、お骨をご自宅などで身近にお祀りすることを「手元供養」と呼んでいます。この言葉は、2002年に当社の代表・山崎が名付けたもので、今では少しずつ広まりつつありますが、まだ多くの方にとってはなじみのない言葉かもしれません。


    納骨の「期限」はありません

    まず知っておいていただきたいのは、ご遺骨をいつまでに納骨(埋葬)しなければならない、という法律上の決まりは一切ないということです。

    法律の規制があるのは、「ご遺骨を埋葬する」とき。つまり、お墓や納骨堂などに納めるときには、市区町村が発行する「埋葬許可証」または「火葬証明書」が必要になりますが、それまでの間、ご自宅で大切にご遺骨を安置していることは何の問題もありません。


    お骨がそばにある安心感

    実際に、火葬場から引き取った骨壷をご自宅に安置されている方のなかには、

    • 「まだお別れできない」
    • 「手放すにはまだ早い気がする」
    • 「姿は見えなくなったけれど、まだそばにいてくれている気がする」

    と感じて、数年、あるいはご自身が亡くなるその日まで、ずっとご遺骨をお手元に置いていらっしゃる方も少なくありません。


    置き場所にルールはありません

    ご遺骨の置き場所に、決まったルールはありません。

    仏壇の中、床の間、本棚の横、リビングの片隅、テレビのそば……。
    「いちばん落ち着く場所」「自然と目に入る場所」に置かれる方が多いようです。

    骨壺のまま安置するのがためらわれるという場合には、骨壺カバーや専用の袋で包んであげる方も。博國屋では取り扱っておりませんが、市販されているものも多くあります。


    「手元供養品」は分骨用が主流ですが…

    近年は、ご遺骨の一部を納めるための**手元供養品(小さな骨壺やアクセサリーなど)**が増えてきましたが、それらの多くは「分骨」を前提とした小型のものです。

    「全骨をしっかり保管できるサイズのものが見つからない」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。でも、火葬場で渡された骨壺のまま安置することは、まったく問題ありません。ご自宅でそのまま丁寧にお祀りいただいて大丈夫です。


    手元供養をされる方への注意点

    手元供養には大きな安心感がある一方で、いくつか注意しておきたいこともあります。

    ご親族との話し合いを

    たとえば全骨をご自宅で供養する場合、他のご親族がお参りをするには、その家に出向く必要があります。また、「四十九日までにお墓に入れないと成仏できない」といった考えを持たれる方もいるかもしれません。

    大切なのは、気持ちのすれ違いが起きないよう、事前にご家族やご親族と話し合っておくこと。実際には、トラブルを避けるために、ご遺骨の一部だけを手元に取り置き、残りをお墓などに納骨される方も多くいらっしゃいます。

    将来への備えも忘れずに

    もうひとつ、自分が亡くなったあとに残された方が困らないようにしておくことも大切です。

    たとえば、どこにご遺骨を保管しているかを伝えていなかった場合、「こんなところに遺骨が…」「どうすればいいの?」と戸惑われてしまうかもしれません。

    「自分が亡くなったときには一緒にお墓に入れてほしい」
    「棺に入れて火葬してほしい」

    ——そうした想いがある方は、生前にきちんと伝えておくことが、残された方への思いやりにもなります


    「そのままで、いいんです」

    お骨をまだ手放せない気持ち、いつか納めたいと思いながらも今はその時でないという感覚。
    それは、ごく自然で、ごくまっとうな感情です。

    「お骨を家に置いている」という状態に、迷いや不安を抱えていらっしゃる方へ。
    どうか安心していただけたらと思います。

    いつか、気持ちの整理がついたときに――
    「そろそろお墓に…」「どこか自然な形で供養したい」
    そんな想いが芽生えたときに、またゆっくりと考えていけばいいのです。

  • 手元供養とは ―― そばに置くことで、つながり続ける祈りのかたち

    手元供養とは ―― そばに置くことで、つながり続ける祈りのかたち

    「大切な人と、これからも一緒に生きていくために」

    そんな想いから生まれた新しい供養のかたちが、**「手元供養(てもとくよう)」**です。

    「手元供養」という言葉のはじまり

    「手元供養」という言葉は、2002年に京都博國屋の代表・山崎が提唱し、名付けました。
    これまでの「遺骨はすべてお墓に納めるもの」という概念にとらわれず、**“ご遺骨を自宅で大切に保管し、日々の暮らしの中で祈る”**という選択肢をつくるために生まれた言葉です。

    私たち博國屋では、手元供養という概念の立ち上げから普及活動、そして実際の供養品の制作まで、20年以上にわたって取り組んできました。

    手元供養とは何か?

    手元供養とは、ご遺骨の一部を骨壷やオブジェ、アクセサリーなどに納め、ご自宅で供養する方法です。
    たとえば、小さな陶器の骨壷に少量のご遺骨を納め、仏壇の代わりとして棚やテーブルに安置したり、木製のオブジェに祈りの気持ちを込めて手を合わせる――そうした行為そのものが手元供養です。

    誰かに見せる必要はありません。
    形にとらわれる必要もありません。
    大切なのは、「あなた自身がどう祈りたいか」「どう想い続けたいか」という気持ちなのです。

    法律的な制限はありません

    「家に遺骨を置いてもいいの?」と不安に思われる方もいらっしゃいますが、ご遺骨を“保管する”だけであれば、法律上なんの問題もありません
    法律による規制があるのは、ご遺骨を「埋葬」する場合(埋葬許可証が必要)だけです。
    ですから、お墓が決まっていない間にご自宅で保管するのも、あるいは最期まで手元で祈り続けるのも、すべて自由な選択です。

    供養のかたちを、自分で選べる時代に

    かつては、供養といえば「お墓を建てる」ことが当たり前でした。
    しかし今では、ライフスタイルや家族構成の変化、経済的事情などから、「お墓を持たない」選択肢をとる方も増えています。

    • お墓は必要ないが、きちんと供養はしたい
    • 遠くのお墓より、今ここで手を合わせたい
    • 家族がそれぞれの場所で故人を想いたい

    そんな想いに応えるのが手元供養です。

    博國屋の手元供養品について

    博國屋では、「触れて祈る」という想いを大切に、木や漆などの自然素材を使った手元供養品を制作しています。
    毎日そっと撫でたくなるような、手のひらサイズのオブジェや骨壷。
    シンプルでいて、心が落ち着く佇まい。
    それらはすべて、職人の手仕事によって丁寧に仕上げられています。

    遺骨ペンダント「小町」

    「いつか自然に還るそのときまで、一緒にいよう」
    そんな願いを込めて、私たちは供養品を届けています。

  • 遺骨を自宅に置いたら問題?!

    遺骨を自宅に置いたら問題?!

    まったく問題ありません。

    遺骨の扱いに関する法律「墓地、埋葬等に関する法律」からも全く問題はありません。ご安心下さい。お客様の中では、1年以上自宅で安置されていた方もいらっしゃいました。離れ離れになりたくないから寂しさからこのように自宅に安置することは問題ありません。その後、心の整理が付いて、お墓に納骨するなどいろいろな選択肢が出てくるかもしれません。そんな時一部を分骨して、自宅に少量でも残せいて置くことも問題ありません。骨壷の絶対的な定義はありませんので、普通の骨壷の中のお骨をオブジェに納めるだけのこととお考えください。

    自宅でも仏壇に置かなければならないというルールもありませんので、家族が一緒に過ごせるリビングに置かれる方が多いようです。ひとつ注意する点でいえば、骨壷の中のカビです。お墓に納骨された後の骨壷を見る機会というのは、そうそうあることではないですが、骨壷の中に水が溜まっていることがあります。骨壷は陶器でできているので、水が逃げにくく、湿気がある場所で保管すると、徐々に水が貯まり、カビの発生の原因となります。そのため、手元供養品に納骨するときでも、乾燥剤を入れるか、湿気が少ない場所に安置することを推奨しています。

  • 清水泰博退任記念展に行ってきました

    清水泰博退任記念展に行ってきました

    博國屋の手元供養品の代名詞ともいえる「地蔵」などをデザインされた、東京藝術大学美術学部デザイン科の清水泰博教授の退任記念展を拝見してきました。

    会場では、清水教授のこれまでの功績を象徴する数々の作品が展示されており、その中には博國屋の手元供養品「地蔵」と「礎」も並んでいました。デザインに込められた温かさや深い想いが伝わり、改めてその素晴らしさに触れることができました。