手元供養の老舗京都博國屋のロゴ

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2019年6月28日 -手元供養のことなら京都博國屋

手元供養の骨壷は、従来の白磁器の骨壷があってこそ、生み出されたものですが、元々骨壷っていつからあったのでしょうか?

ちょっと調べてみたいと思います。

とりあえず骨壷の印象


骨壷に触れる機会というのは、そうあるものではないと思います。よくあるのは、火葬後に納骨する白磁器の骨壷ですが、納骨した後は骨箱に入れられ、直接触れることも目にすることもなくなります。

その後、四十九日を経てお墓に納骨という流れでしょうか。

となると骨壷を目にするのは最初と最期で、時間にしてもちょっとといった感じですね。

骨壷の歴史


骨壷がいるということは、土葬の文化はなく、おそらく火葬の風習がすでにあったことでしょう。もしかしたら白骨化するまで、土葬にかもしれませんが…

8世紀頃に火葬の風習が全国に広まったようです、そして骨壷にお骨を入れる。今のように石のお墓ではなく、土を掘ってそこに骨壷ごと納めていたようです。

ただ今のように火葬に技術を求めないでただ燃やしていたのであれば、骨は炭化していたんじゃないでしょうか?分骨する理由がなければ、土ごと骨壷に納めることになるので、もしかしたら骨壷は結構大きいのかもしれません。

以外に金属製もある


偏見ですが、8世紀頃だと、骨壷も簡素なもので、土でできた素焼き程度のものをイメージしていたのですが、銅や金銅製ものもあったようです。

なので、博國屋の真鍮製のなごみシリーズなどは、現代風で新しい骨壷ではなく、アンティーク調といってもいいかもしれません。アンティークにしては歴史が深すぎますが…

意外に思われるかもしれませんが、お墓の文化って実は結構最近なのです。お墓自体は昔からありましたが、一般的になったのでいえば最近です。

なので石のお墓がない時代は、土葬であったり、骨壷がメインの供養方法だったのかもしれません。

昔の人が、骨壷に入れたお骨を自宅で手元供養していたかもしれませんね。

  • 手元供養の博國屋代表山崎譲二

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    「はじめまして、ひろくに屋店主の山崎譲二です。手元供養品を2002年から京都で製造販売しております。手元供養についてわからないことございましたら、いつでもご相談ください。」

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